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4ヶ月あまりご無沙汰いたしておりました。
ブログを更新しようと「李さんの独り言」を開くのですが、開かないのです。 パスワードとIDを何回も打込むのですが投稿ページが開かない。 なんと、IDとパスワードを間違えていたんです。(大笑) たった4ヶ月の間に忘れてしまうほど、老化が進んできました李さんの この4ヶ月はと申しますと…。 ○月○日 家人が大事に育てて きました君子蘭が 見事に花をつけました。 酔って帰ってくる李さんを、やさしく 迎えてくれます。 20年以上、玄関に 鎮座ましましておわす。 ○月○日 友人のご子息の人前結婚式に 品川プリンスへ。 数多くの観客、プールの イルカ達に祝福されての 素敵なセレモニー。 ○月○日 西郷さんと直美ちゃんのお芝居 「冬のひまわり」を観劇したとき、 入口で頂戴した「ヒマワリのタネ」を 南牧村の畑に蒔きました。 左の袋が大阪の松竹座でのもの、 右が新橋演舞場で頂いたもの。 しばらく行っていないが、 もう咲いたかな。 ○月○日 俳優で歌手の「白竜さん」の芸能生活30周年パーティが「目黒雅叙園」で。 その昔、彼が作った韓国軍部の市民虐殺をテーマにした「光州シティ」が 発禁になったことがあったね! ビートたけしさんの「その男、凶暴につき!」で大ブレーク。 Vシネマで活躍。韓国での映画出演も。韓国の有名スターから ビデオレターが数多く寄せられていました。 内田裕也、桑名正博、ジョー山中さんからもお祝いの歌が。 ○月○日 背中がネコ背と家人より指摘された李さん。 通販で矯正ベルトを購入。 3日ほどしたが鬱陶しく押し入れに。 家人に「三日坊主がまた余計なものを 買って」と叱られる。 腹筋、背筋の衰えに加えて、道玄坂清香園 での皿洗いも影響しているのかな。 ○月○日 今、流行りの「加圧式トレーニング」を、 まだん陶房で体験。 上腕、大腿の静脈を血圧測定のように 締め付けて加圧し、軽く運動。 一気に弛めると、末端まで血液がすごい 勢いで流れ、若返るらしい。 64歳の記念に血管年令(動脈硬化度)が 80歳以上と測定された 李さんは血管がズタズタに破れて しまうかもね。 クワバラ、クワバラ! ○月○日 小4の孫がペットボトルのキャップを 集めている。 聞けば、「恵まれない国」の子供達に ワクチンを贈るのに必要とのこと。 かつて、プルトップやら何やら、この類いの 胡散臭いのがいろいろあったが協力することに。 コンビニのペットボトルのゴミ箱をあさる李さん、 格好良くないよね。(笑) ○月○日 まだん陶房の会員さんの個展が 世田谷区民美術館で。 彼女、中南米の某国の大使夫人。 陶芸以外にもあらゆるアートに 素晴しい感性を発揮。 李さん、第2語学はスペイン語を 履修しとけばよかったな。 (時系列でアップしてみました。この続きは来週にアップします) #
by lee-y
| 2008-07-01 17:33
| 徒然思うこと
皆さん!こんにちは。
早いもので、もう3月彌生ですね。 大地も暖まり、土の中から虫が顔を出すという「啓蟄」も過ぎましたが、 まだまだ寒い日が続く今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。 毒入り餃子、イージス艦と漁船の事故、疑惑の銃弾=サイパン=三浦容疑者、 道路特定財源から駐車場機構への995億円、石原銀行(新銀行 東京)への 400億円の血税投入、オバさんとヒラさんの壮絶な舌戦、等々、言いたい ことは山ほどありますが、李さんがノタマワクってもどうなることでも なしでございまして…。(涙) こんな李さんの昨今はと申しますと…。 血圧、血糖、γーGPTと、とっても仲よくしています李さんですが、 親友と誓いをたてたんです。 と言っても世界平和を祈念するとか、地球温暖化をどげんかせんといかん! とかと言った「気高く偉大な」誓いなどではなくて、土日は禁酒しようぜ! という、下戸の皆さんが大笑してしまうようなものでありました。 365日、一日たりとも酒を抜くことがなかった二人ですが、おじさん達 思いたったら話しは早いんです。もっとも、この誓いも呑み屋のカウンターで 決まったんですがね。 土曜日の夜、友からメールがきたんです。 「週2日休肝の初日です。つらいけどがんばりましょうね。」 嬉しいものです。 この夜、那覇に赴任する友の送別会があったのですが、ウーロン茶片手の 李さんの似合わないこと、似合わないこと。 一人一人に事情を説明。テレコが欲しいほどでしたね。 一様に皆様、「続きっこないさ!」的なお顔ではございましたが。 「○○さんには黙ってるから呑んだら」とオーナーや参加者の面々。 「それを、やっちゃったら男がすたるぜ!」 思わず、前時代的言語が出そうな李さんでした。 翌、日曜日は、李さんが名誉会員を仰せつかっております水墨画団体の総会、 懇親会が新宿中村屋で。 一日3箱のチェーンスモーカーだった李さんが「止めた!」と一言で 禁煙したのですから、なんの!これしきのこと。 翌朝メールが。 「休肝の初日 大成功でしたね!」と、またまた嬉しいメールが。 先日、酌み交わしながら「休肝日は、2日続けて意味があるが、でも 土日ってのは、いろいろ行事が多いし、ちょっと無理があるな。 別の日を検討しようか。」アハハハ! 孫を連れて、最近オープンした近所の温泉に行きました。 1Fが日本最大の「ユニクロ千歳台店」が入っている建物の2Fにあるんです。 家人のDNAを娘、孫ともしっかり受け継いでいるようでありまして、 暇を作っては、三世代でよ〜く行っているようであります。 李さんは立派なメタボ保持者でございたしまして、3Fにありますスポーツジム に大変に興味があり、見学がてら行ってみたんです。 入浴後、館内をウロウロしていますとフロント横の水槽が足湯のように なっており、小さな魚が泳いでいるじゃあありませんか。 看板にフィッシュ・セラピーって書いてあるんです。 「ああ!TVで何回か見たことがあるぞ。足の角質を食べる魚だ!] 「確か、ドクターフィッシュとか言ってたな。」 10分=500円か。 話しのタネに足を入れてみようじゃないの。 説明書には、 ガラ先生の本名はガラ・ルファといい、コイの仲間で生息地はトルコの 温泉。高温で生きていけるそうで、人間の古くなった角質を食べてくれて 昔から皮膚病の治療につかわれてきた。 現在ではドイツで研究が進み、皮膚病やアトピーの症状がされるとされ 健康保険の適用も認められている。 ガラ先生の治療はとても優しく、最初はくすぐったいですが、すぐに 気持ちよくなってきます。 クッキング・タイマーを持って、ガラ先生を踏まないようにそっと水槽に 足を入れてみました。 ワッと3cmくらいのガラ先生が両足に100尾以上たかってくるではありま せんか。大きいのは5cmくらいはあるかな、踵、指先、脛とどこ構わずパクパク。 くすぐったい!くすぐったい! 李さんのムニャムニャしている光景を見ていました熟年らしきご婦人、 私もやってみようかしらと隣の席においでになりました。 このご婦人、足を入れましても、ホンの僅かなガラ先生しかとりついて いないようであります。 チラリと李さんの足を見て、やおらフロントに向かって大声で 「ちょっと!私の足に魚が寄ってこない!」 李さん、得意の「鼻のいななき」が出そうで笑いをこらえるのに必死でしたよ。 その夜の酒の席でのこの話し、とってもウケましてね。 まさに「酒の肴(サカナ)」でした。 ここで考えられるのは 1.李さんの足のほうが旨かった 2.ご婦人の足が臭くて、食欲がわかなかった う〜ん!謎である。後世の英知に託すことにいたしましょう。 この話しを家人にしたところ、「孫たちが、いつも体験したがって困る。 二人で1,000円よ!」 「よしよし、今度ジージが連れて行ってあげようね。」 「さあ!足を喰わすぞ」「足なくなっちゃったらどうする?」 キャーキャー言って、くすぐがって、大騒ぎしてと李さん、とっても 期待して、カメラまで構えていたのですが以外と冷静でガッカリ。 はしゃいでいたのはジージだけでありました。(チャン チャ〜ン) ※ガラ先生は、レンタル期間が終了し、今はいませんでした。 ちょっとしたお知らせです。 3/15(土)8ch.関西テレビ 朝8:30より 「うふふのぷ」という番組の中で、 「ぐっさんのトーキョーほッ」 というコーナーに、西郷輝彦さんがゲストで出演します。 8:50頃から13〜4分位だと思います。 李さんのまだん陶房で対談して、3カ所ばかりの「ほッ」とする人、料理、 場所を紹介いたします。 ぐっさんって本当に好感の持てる人でしたね! すっかり大ファンになってしまいましたね。 あなたも、きっと経堂に引越して来たくなるやもしれませんぞ!(ガハハハ) #
by lee-y
| 2008-03-09 10:35
| 徒然思うこと
やあ!ご無沙汰いたしておりました。
李さん、死んだんじゃないかしら?入院してるんとちゃう? どっこい!しぶとく生きておりました。 しかし、ここ2〜3日冷え込みますな。昨日など雪が降りましたし。 あの寒風吹き荒ぶ信州の諏訪盆地で生まれ育ち、しかも人一倍、皮下脂肪に 恵まれた李さんでさえ、この寒さはこたえましたよ。 まあ、これが由緒正しい日本の冬なんですな。 あらためて「寒中見舞い申し上げます」 思えばブログ、2ヶ月以上も更新していなかったわけですね。 それこそ、「針〜千本〜飲〜ます」でありますな。 気にはなっていましたが、生活に追われ、ゆっくりとPCの前に座ることも 出来なかった李さんでありました。 それにしましても、いくら生業とはいえ連載物を何本もかかえた方々は それはそれは大変でしょうね。 旧正月も終えまして、やっとキーボードを左右の人差し指で(押さえ) だしたのであります。 昨年に引き続きまして今日の今まで、まあ!いろんなことがありましたね。 一言居士的な李さん、書きたいことは山ほどありましたが、先述のような 次第で「おぼしきこと言はぬは、げにぞ腹膨るる心地しける」【大鏡】の 心境でございましたよ。 昨年に負けず劣らず「偽」が次から次と続々と出てくるんですから。 これらを憂い、株価はどんどん下がるのに「血圧」と「血糖値」、 「肝機能障害数値」のみが、どんどん上昇していきます李さんの昨今は と申しますと…。 今年になり血圧が上がってきました李さん、先日などは220-120という 見事な数値でありました。これって降圧剤を服んでの値なんですよ。 脳梗塞の後遺症を引きずりながらも立派に復帰した知人は、倒れたときは 何と175-95であったそうな。 9月で65歳になります李さん、倒れちゃうのが怖いので、寒いから風呂は なるべく入らず(内緒ですぞ!=でもウソ)お手洗いには暖房を入れ、出歩く ときは完全防備。この格好で郵便局に払い込みに行ったときなんぞは、 カウンター内が一瞬「たじろぐ」のが見てとれましたな。(ガハハハ) 昨年も書きましたが李さんの「血管年令」は80歳以上と出まして、かなり ショックをうけたました。 そんなはずはないぞ。何かの間違いに違いない。いや機器が故障している。 きっとそうだ! と言いつつも、一体この装いは何なんだ! こんなことをするより生活習慣を改めればよいのにね。 わかっちゃいるけど止められない意志の弱い李さんでありました。 東工大=生命理工学の本川教授のお話によると 「生命体の寿命の根拠を心拍数に求め、15億回を限度数として定立し、 人間の寿命は50歳と推定した。あとは「おまけの命」だから 「今を生きろ!」と説いておられた。 う〜〜ん、なるほど!そんなものなのか。 李さん、もう15年も「おまけ」をいただいているんだ。カムサハムニダ! でも、長生きしても高齢者に、弱者に決してやさしくない国にどんどん突き進んで いるようで……ね。 つい先日の雪、信州生まれの李さん、とってもうれしかったな! 戌年でもないのに「♪〜犬はよろこび庭かけめぐり〜♪」の心境でした。 小学生のとき、雪が降ると先生も一緒になって 校庭で雪合戦。 この歳になってもそのときのワクワクした楽しさが思いだされます。 ところが、いまどきの小学校では、雪の日は 休み時間に校庭で遊んではいけないらしい。 (バカか!) 雪遊びすることで、 教室が汚れることが嫌の ようなんだな。 帰りに、 雪に触れるだけでも怒られるらしい。 (信じられないな!) 【まだん陶房前 スタッフが童心に戻り 作りました】 えっ!これを聞き李さん、びっくりしましたね! 幸い孫たちの通う小学校は存分に校庭で遊ばしてくれているみたい。 彼女たちにとって、いい思い出になってくれればいいな。 東京農業大学ボクシング部のお話は何回も書きましたね。 昨年は東日本を制覇し、西日本の王者だった大阪商業大学との 王座決定戦では11:0という完膚無きまでの勝利をおさめたのでありました。 秋の学園祭(収穫祭)では、ボクシング部は毎年「ハチミツ」を売り その収益を合宿費に充てていると山本浩二監督から聞いていました。 今年も「ハチミツ」は完売で、監督は部員達にも何らかの形で還元 しようと考えたのが、まだん陶房での「焼き物作り」でした。 昨年も実施したのですが、ご両親に「湯呑み」や「茶碗」を作って 贈りましょう!という素晴しい企画でありました。 さすが名伯楽の浩二くん!だね。 緑(農大カラー)ジャージが主将の米澤くん(フライ級) リングにあがれば獅子奮迅の活躍の部員達が総勢23名が「無」になっての作陶、 何とも微笑ましいですね。 宅配便の用紙に地方にいる親の名前を書くんですが、殆どの部員は 「かあちゃん」の名前を書いていましたっけ。 内緒ですぞ!誰かさんは彼女とおぼしい…(ガハハハ) 帰りに「もう3時間ぐらいやりたかったな!」嬉しい言葉でした。 農大ボクシング部の優勝祝賀会が日本青年館で開かれました。 学長をはじめOB、プロのジムオーナー、他大学関係者、応援団など 230余名のなかに「経堂呑み仲間チーム」が20名ほどが紛れ込んで おりました。 選手のケアをしている、倅「岩田整骨院長」と手伝いをしている娘も お招きにあずかり選手たちと歓談しておりました。 来賓紹介の際、「TV、舞台で大活躍の… 西郷輝彦さん 」続いて 「岩田整骨院の…」に続き「渋谷の高級焼肉店…云々」と司会者。 李さんのテーブルから大爆笑。李さんも「高級…」におもわず、 「必殺鼻鳴り」が出てしまいました。 農大名物のダイコン踊りも初体験しました。 西郷さんと李さんの間が米澤主将。右端が某「樹里庵」店主のノブさん。 閉宴後は西郷さん、監督以下20余名が李さんの 道玄坂清香園へとながれ、 さらに余勢を駆って経堂の 「某やきとり屋さん」へ。すでに記憶は忘却曲線へと移行。 楽しい宴でありました。 #
by lee-y
| 2008-02-10 15:28
| 徒然思うこと
やあ!ご無沙汰いたしておりました。
皆さんお元気でしたか。 書きたいことは山ほどあるのに、ブログも2ヶ月以上更新できないまま、 多くの従業員を喰わして行かねばと働きづめの李さんでした。 (本当ですよ) まあ、いろんな偽装が次々におこりましたね。 思いつくまま列記しましても「ミートホープ」「白い恋人」「赤福」 「御福餅」「NOBA」「ニチアス」「比内地鶏」「ミスタードーナツ」 「オリジン弁当」「マクドナルド」「明太子のふくや」 そして、あの「船場吉兆」 偽装が発覚してからのトップの釈明が何ともおかしいですね。 秋田訛で「死を求めて山中をさまよった」と一見朴訥そうに 訥々と会見していた社長のしたたかさ。 タダ同然のブロイラーの廃鶏を地鶏にしちゃうんだからね。 パートや業者のせいにするおバカ取締役なんかもいましたね。 李さん、関西に出かけた折のお土産は、必ず「赤福」でありました。 何処の売り場にも山のように積み上げられた「赤福」をみて 売れ残ったらどうするやろか、と人ごとながら心配しておりました。 やっぱりそうやったんかいな。 その筋の人から聞きましたが、偽装の発覚、脱税の摘発は殆どが 内部告発なんだって。 どの書庫の何番目の引き出しに何が入っているまで克明に書いて あり、申し開きも何もできないくらい詳細であるらしいよ。 (怖いですね〜)社員は大切にしましょうね! 偽装にも脱税にも内部告発にも全く縁がなく、ましてや フランスのタイヤ屋さんの格付けにも全く関係ない 李さんの昨今とは申しますと…。 李さんちで飼っていたネコが死んで4年になろうとしている。 18年、家族を癒してくれた気立てのいい雑種の キジトラネコでした。 メスネコでしたが娘が「小太郎」と名付け、以後省略しまして 「コタちゃん」の愛称で呼んでおりました。 いま小学3年、1年の孫が産まれたときも、むずがる泣声に 枕元で心配そうに顔をのぞいていましたっけ。 孫がハイハイするようになると追いかけては尻尾をひっぱって いましたな。それでも咬んだり、引っ掻いたり、ネコパンチを 繰り出すこともなく、ただ「ニャ〜ン」「イヤ〜ン」と悲しげな鳴声をあげるだけでした。 (他の家のネコです/友情出演) 帰宅したとき家人が誰も出てこなくても、足元にスリスリして 迎えてくれたっけ。 深夜帰宅すると李さんちのカウンターの上に「猫じゃらし」が数本グラスに生けられていました。 貼紙がしてあり「さわらないで!」 どうしたのかなと家人に聞くと、孫が「コタちゃん」の命日が近づいてきたので「猫じゃらし」を大きく育て、お供えするんだと。 ガハハハ!と笑ってしまったが、ふと笑った自分が恥ずかしくなりメチャクチャに 孫が 愛おしく可愛かった。 ウ〜ン!確実に隔世遺伝しておるな。 小1の孫娘に「じ〜じは○○ちゃんのウェイディングドレス姿 見てから死にたいな」「天国から見ててね!」 別の日に小3の孫娘に「じ〜じは△△ちゃんの ウェイディングドレス姿見てから死にたいな」 「長生きしてね!」 先日、とあるお店のカウンターで驚くべき椿事というか偶然が あったのです。 7/28の李さんのブログに、ガレッジセール/玉緒さんという 「清香園」でのTV収録風景をアップしましたよね。 顔の傷をメークしていただき、名物の「牛スジ煮込み」をテーブルに 運び、「これが勝さんが大好きだった鍋です」と収録したのですが 全てカットされておった、と李さん文句を言っていましたね。 何と偶然にも隣に座ったカップルがメークをしてくれたお嬢さんで 男性はカメラを回していた方でした。 店主と李さんの「清香園」という言葉のやりとりでわかった 次第。お互いびっくりしましたな〜! 西郷輝彦さんと藤山直美さんのお芝居「冬のひまわり」が 大好評です。 11月は大阪松竹座、12月は新橋演舞場で2ヶ月に亘る公演。 勿論、李さん、大阪まで行ってきました。 美濃の陶芸家、塚本治彦さんとミナミで待ち合わせてご一緒に。 笑いあり涙ありの楽しいお芝居を堪能しまして、その夜も しこたま呑りましたな。 翌日も塚本さんとジャンジャン横丁の「ソース二度づけお断り」の串揚げ屋を皮切りに、仕上げは李さんが学生時代に足繁く通っていた阿倍野橋の路地裏の餃子の「珉珉」へ。 40年前と内装もオーダー用語も何も変わっておらず、タイムスリップしたようでした。 ノスタルジーで鼻水が出てしまった李さんです。 新橋演舞場にも観劇に行ってきましたが、何回観ても「いいものはいい!」ですね。 西郷さんによりますと「藤山直美さん」とは、お芝居の波長がピッタリ合うそうで、あの大女優の 「山田五十鈴さん以来である!」と杯を酌み交わしながら言っておりました。 まさにそれが客席にまで伝わってくるんだなあ。 李さんの道玄坂清香園ですが昨年3月に閉店時間を午前2時から 午後11時にしたところ、見る見るうちに売上が激減してしまい 大変なことになってしまいました。 BSE騒動もやっと収まったと安堵していましたが、私の判断の誤り、 経営能力のなさで、このような結果となり、我ながら全く情けない 次第であります。どうぞ、ご支援のほどを!(涙) 倒れた木も、主が去って行った蜂の巣も…。寂しげな民家です。 さあ、年の瀬もあと僅か!いい年を迎えられますよう我身を 叱咤激励して…(トホホホ…) #
by lee-y
| 2007-12-08 15:01
過日の台風でズタズタにされた群馬県は南牧村。
道路が寸断され、何カ所かの集落が陸の孤島になっている様子が テレビで連日報道されていて、過疎の村が一躍全国区になったようです。 報道で初めて知ったのですが、この村は人口2,900人で65歳以上が 何と80%!日本一高齢の村であったそうです。 何度か書きましたが、この村に李さんの古民家があります。 玄関入口の前に、高さが13メートルくらいの「えんじゅ」の木がスクッと立って いたのですが、この台風で根元から倒れてしまい、屋根に寄っかかっているんです。 ところが枝の左下の部分の2階軒先に、前回書きました「スズメバチ」の巣があるんです。 近隣の人の話しでは見事に大きくなっているようで、チエンソーで切ろうにも 一斉に襲いかかってくるだろう…って。一階の軒先と同じ位置に畑があり ダイコンを植えているんですがね。クワバラ、クワバラ! 名月を愛でる余裕もないまま、生活に追われ、バタバタとしておりました 李さんの昨今はと申しますと…。 カミさんの母が亡くなりました。享年91。 天寿を全ういたしました。 倉橋島という瀬戸内の島に、この歳まで一人で暮らしていた気丈な母でありました。 10代で朝鮮より嫁いできて、一回も故国の地を踏まないまま旅立って逝った 母の望郷の念を想いますと涙が禁じ得ませんでした。 死ぬ間際、意識が混濁する中で「オンマ!オンマ!」と滅多に口にしない 朝鮮語で母を呼んでいたと聞きまして、胸が締め付けられました。 子供が6人、孫が19人、ひ孫が28人、脈々と続いて行くんですね。 喪服に着替えると、何とズボンの裾が「松の廊下・殿中でござる!」 カミさん、あわてていて180cmの息子の服と間違えちゃったらしい。 腰回りはどう引っ張っても、腹を引っ込めても駄目! 「だって李ってネームが入っていたから」 バカ!息子も李だよ。(笑) 遺灰を少しいただき、訪韓の際、母の生まれ故郷に撒いてあげましょう。 西郷輝彦さんの「薩輝会」チャリティーゴルフコンペに鹿児島に行ってきました。 お遊びのゴルフコンペでなく、協賛金を弱者の立場にある団体に贈るという 西郷さんらしい趣旨のもとに今年で6回目を迎えることになりました。 開催するにあたり、地元鹿児島から「薩輝会」のお世話係さんが何度となく 上京し、綿密なる打ち合わせを重ねておりましたね。 と言うのは回を重ねるごとに協賛者が増え、今回は55組、220人という 大参加者。ゴルフ場を貸切っての大セレモニーをいかに円滑に運営するか ということで鳩首。 鹿児島へ同行。西郷さんはホテルに入る前に一仕事があるんです。 鹿児島テレビが開局40周年を記念して来春1/20(予定)放映します 「西郷隆盛、おいどんは丸腰で朝鮮へゆく」というドキュメンタリー ドラマの西郷隆盛役でのラストシーンの撮影があったんです。 西郷隆盛さんの銅像の前での撮影。続いて西南の役で戦死した人たちを 奉った南洲神社での撮影でした。 ふと司馬遼太郎さんの著書「故郷忘じがたく候」のなかに「慶長文禄の役」で 島津氏によって朝鮮より連れてこられた美山の陶工たちの子孫が、西南の役で 西郷軍に馳せ参じ、壮絶に散って行ったくだりを思いだしました。 確かその墓がある書いていたっけ。 撮影の合間、西郷さんも苔むした膨大な墓石の間を駆け巡りましたが そのような碑はみつかりません。 「李さん!聞いた方が早いよ」と西郷さん。 折よく、神社前の茶屋のご主人が境内にお見えになったのでお聞きしますと 伊集院郷の163名の合祀碑に案内されました。 そこには碑文が風化されてはいましたが、まぎれもなく「李某・金某・朴某…」と 10名近い朝鮮姓名が刻み込まれていました。 「そうか!名字帯刀を許され、士分に取り立てられても300年以上朝鮮姓で 生きてきた人たちもいたんだ! 感激で思わず落涙。 そのすぐ近くに、違う方向を向いている墓石がありました。聞けば中津の 藩士の墓で故国大分に向かって立っているとのこと。 これまた「故郷忘じがたく候」 感激で思わず落涙の李さんでした。 西郷隆盛さんの墓 今回の鹿児島行にはゴルフ以上に楽しみが別にあったのです。 西郷さんが鹿児島で初めて入った料理屋さんでのことです。 たいへん酒肴が美味く感激していたのですが、出てきた器を見てびっくり! 何と、李さん、西郷さん共通の友人である美濃の陶芸家「塚本治彦」さんの 食器だったそうです。 女将は塚本氏のことはわからぬまま、作風がとっても気に入って数多くの 食器を地元の食器屋さんで買い求めたそうです。 そこでまた、サプライズを計画しました。 女将に内緒で塚本氏を連れて行き、やおら「この食器は誰が作ったっけ!」 「そう!この人が塚本さんなんだよ!」 還暦を過ぎた男二人はこの企てにワクワクしていました。 いや〜楽しかったこと、楽しかったこと。 東京では入手不可能な「村尾/森伊蔵/佐藤の黒」などのイモ焼酎に うまい魚。女将の驚きは最高な肴でしたね。ガハハハハ。 塚本さんテレながら色紙にサインしていましたっけ。 (びっくりするくらい長〜皿に盛られたお刺身・塚本さん作品ではない) 翌日は早いスタート。 李さんたちが11時に18ホールを廻りホールアウトした際、まだスタート していない組が沢山いましたね。 西郷さんのファンクラブの方々も数多く見られました。 ありがたいことですね。 まるで外国にでも来たような素晴しいコース。 抜けるように青い空。素敵な仲間たちとのプレー。 ただ、李さんのスコアだけが素晴しくなかったけどね。ガハハハ ホテルの大広間での大パーティーには更に多くの方々がいらっしゃいました。 おそらく250〜60人以上だったでしょうね。 今回のチャリティーは、幾度となく郷里の大先輩である西郷さんに、 メールを送り続けた鹿児島大学の女学生さんが主宰するNPO法人の団体に おくられました。会場には彼女もおいでになり、ご挨拶をいただきましたが そこで李さん、また落涙してしまいました。歳をとると涙腺が緩くなるんだ。 「親に先立たれた遺児」への西郷さんの愛情に深く感銘! 乾杯の発声を頼まれました李さん、この大人数の前では初めてのことで しかもアロハシャツ。阿久根市長さんや地元財界の方々が大勢いらっしゃる なかでの乾杯、どうなることやらと心配しましたが「2分位でいいよ!」の 西郷さんの言葉で一安心。 皆さん喉が渇いているのに、昨日見た「美山の朝鮮姓」の話しまでしゃべりだし てしまい大幅にオーバー。でも好評のようでした。 一同、天文館に繰り出しましたが、どのように部屋に戻ったかも記憶がなく爆睡。 翌日、5時起床。朝焼けの桜島です。 まだん陶房の第8回会員展が教室のすぐ近くのGARAGE・Bで 8日(月)まで開かれますので搬入、陳列のため帰らなくてはなりません。 夕刻5時よりオープニングパティー。酒漬けの毎日に肝臓が「おかんむり」の ご様子ですな。会員さん、ご家族、かつて通ってきていたOB、OGが 溢れんばかり。半分以上がOB、OGですから不思議な教室ですね。 辞めてもみんな遊びに来てくれる、ありがたいことです。 西郷さんの作品も展示販売しております。 #
by lee-y
| 2007-10-07 13:16
| 徒然思うこと
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