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過日の台風でズタズタにされた群馬県は南牧村。
道路が寸断され、何カ所かの集落が陸の孤島になっている様子が テレビで連日報道されていて、過疎の村が一躍全国区になったようです。 報道で初めて知ったのですが、この村は人口2,900人で65歳以上が 何と80%!日本一高齢の村であったそうです。 何度か書きましたが、この村に李さんの古民家があります。 玄関入口の前に、高さが13メートルくらいの「えんじゅ」の木がスクッと立って いたのですが、この台風で根元から倒れてしまい、屋根に寄っかかっているんです。 ところが枝の左下の部分の2階軒先に、前回書きました「スズメバチ」の巣があるんです。 近隣の人の話しでは見事に大きくなっているようで、チエンソーで切ろうにも 一斉に襲いかかってくるだろう…って。一階の軒先と同じ位置に畑があり ダイコンを植えているんですがね。クワバラ、クワバラ! 名月を愛でる余裕もないまま、生活に追われ、バタバタとしておりました 李さんの昨今はと申しますと…。 カミさんの母が亡くなりました。享年91。 天寿を全ういたしました。 倉橋島という瀬戸内の島に、この歳まで一人で暮らしていた気丈な母でありました。 10代で朝鮮より嫁いできて、一回も故国の地を踏まないまま旅立って逝った 母の望郷の念を想いますと涙が禁じ得ませんでした。 死ぬ間際、意識が混濁する中で「オンマ!オンマ!」と滅多に口にしない 朝鮮語で母を呼んでいたと聞きまして、胸が締め付けられました。 子供が6人、孫が19人、ひ孫が28人、脈々と続いて行くんですね。 喪服に着替えると、何とズボンの裾が「松の廊下・殿中でござる!」 カミさん、あわてていて180cmの息子の服と間違えちゃったらしい。 腰回りはどう引っ張っても、腹を引っ込めても駄目! 「だって李ってネームが入っていたから」 バカ!息子も李だよ。(笑) 遺灰を少しいただき、訪韓の際、母の生まれ故郷に撒いてあげましょう。 西郷輝彦さんの「薩輝会」チャリティーゴルフコンペに鹿児島に行ってきました。 お遊びのゴルフコンペでなく、協賛金を弱者の立場にある団体に贈るという 西郷さんらしい趣旨のもとに今年で6回目を迎えることになりました。 開催するにあたり、地元鹿児島から「薩輝会」のお世話係さんが何度となく 上京し、綿密なる打ち合わせを重ねておりましたね。 と言うのは回を重ねるごとに協賛者が増え、今回は55組、220人という 大参加者。ゴルフ場を貸切っての大セレモニーをいかに円滑に運営するか ということで鳩首。 鹿児島へ同行。西郷さんはホテルに入る前に一仕事があるんです。 鹿児島テレビが開局40周年を記念して来春1/20(予定)放映します 「西郷隆盛、おいどんは丸腰で朝鮮へゆく」というドキュメンタリー ドラマの西郷隆盛役でのラストシーンの撮影があったんです。 西郷隆盛さんの銅像の前での撮影。続いて西南の役で戦死した人たちを 奉った南洲神社での撮影でした。 ふと司馬遼太郎さんの著書「故郷忘じがたく候」のなかに「慶長文禄の役」で 島津氏によって朝鮮より連れてこられた美山の陶工たちの子孫が、西南の役で 西郷軍に馳せ参じ、壮絶に散って行ったくだりを思いだしました。 確かその墓がある書いていたっけ。 撮影の合間、西郷さんも苔むした膨大な墓石の間を駆け巡りましたが そのような碑はみつかりません。 「李さん!聞いた方が早いよ」と西郷さん。 折よく、神社前の茶屋のご主人が境内にお見えになったのでお聞きしますと 伊集院郷の163名の合祀碑に案内されました。 そこには碑文が風化されてはいましたが、まぎれもなく「李某・金某・朴某…」と 10名近い朝鮮姓名が刻み込まれていました。 「そうか!名字帯刀を許され、士分に取り立てられても300年以上朝鮮姓で 生きてきた人たちもいたんだ! 感激で思わず落涙。 そのすぐ近くに、違う方向を向いている墓石がありました。聞けば中津の 藩士の墓で故国大分に向かって立っているとのこと。 これまた「故郷忘じがたく候」 感激で思わず落涙の李さんでした。 西郷隆盛さんの墓 今回の鹿児島行にはゴルフ以上に楽しみが別にあったのです。 西郷さんが鹿児島で初めて入った料理屋さんでのことです。 たいへん酒肴が美味く感激していたのですが、出てきた器を見てびっくり! 何と、李さん、西郷さん共通の友人である美濃の陶芸家「塚本治彦」さんの 食器だったそうです。 女将は塚本氏のことはわからぬまま、作風がとっても気に入って数多くの 食器を地元の食器屋さんで買い求めたそうです。 そこでまた、サプライズを計画しました。 女将に内緒で塚本氏を連れて行き、やおら「この食器は誰が作ったっけ!」 「そう!この人が塚本さんなんだよ!」 還暦を過ぎた男二人はこの企てにワクワクしていました。 いや〜楽しかったこと、楽しかったこと。 東京では入手不可能な「村尾/森伊蔵/佐藤の黒」などのイモ焼酎に うまい魚。女将の驚きは最高な肴でしたね。ガハハハハ。 塚本さんテレながら色紙にサインしていましたっけ。 (びっくりするくらい長〜皿に盛られたお刺身・塚本さん作品ではない) 翌日は早いスタート。 李さんたちが11時に18ホールを廻りホールアウトした際、まだスタート していない組が沢山いましたね。 西郷さんのファンクラブの方々も数多く見られました。 ありがたいことですね。 まるで外国にでも来たような素晴しいコース。 抜けるように青い空。素敵な仲間たちとのプレー。 ただ、李さんのスコアだけが素晴しくなかったけどね。ガハハハ ホテルの大広間での大パーティーには更に多くの方々がいらっしゃいました。 おそらく250〜60人以上だったでしょうね。 今回のチャリティーは、幾度となく郷里の大先輩である西郷さんに、 メールを送り続けた鹿児島大学の女学生さんが主宰するNPO法人の団体に おくられました。会場には彼女もおいでになり、ご挨拶をいただきましたが そこで李さん、また落涙してしまいました。歳をとると涙腺が緩くなるんだ。 「親に先立たれた遺児」への西郷さんの愛情に深く感銘! 乾杯の発声を頼まれました李さん、この大人数の前では初めてのことで しかもアロハシャツ。阿久根市長さんや地元財界の方々が大勢いらっしゃる なかでの乾杯、どうなることやらと心配しましたが「2分位でいいよ!」の 西郷さんの言葉で一安心。 皆さん喉が渇いているのに、昨日見た「美山の朝鮮姓」の話しまでしゃべりだし てしまい大幅にオーバー。でも好評のようでした。 一同、天文館に繰り出しましたが、どのように部屋に戻ったかも記憶がなく爆睡。 翌日、5時起床。朝焼けの桜島です。 まだん陶房の第8回会員展が教室のすぐ近くのGARAGE・Bで 8日(月)まで開かれますので搬入、陳列のため帰らなくてはなりません。 夕刻5時よりオープニングパティー。酒漬けの毎日に肝臓が「おかんむり」の ご様子ですな。会員さん、ご家族、かつて通ってきていたOB、OGが 溢れんばかり。半分以上がOB、OGですから不思議な教室ですね。 辞めてもみんな遊びに来てくれる、ありがたいことです。 西郷さんの作品も展示販売しております。
by lee-y
| 2007-10-07 13:16
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